「無理しないこと」が無理な理由

sotacafe2009-02-17

世の中の問題は
だれかが無理をすることから始まっている。


という内容が『アムリタ』(吉本ばなな
のセリフに出てきて、印象に残っている。


当時、無理をしていた自分は「そうか」と反省した。

一方で、無理とそうでない境界線は
無理をしないとわからないのではないか、とも。
・・・
無理をしない、がんばらないというが
これがむずかしい。


人は過剰が好きだ。

たとえば、仕事。

たとえば、お酒。

田島隆はかつて
「酒とは、呑んでいるときは『呑み足りず』、
呑み終えたときは必ず『呑みすぎている』飲料である」
と書いたことがある。

酒について、これほど適切な定義を
私は他に知らない。


『おじさん的思考』内田樹

お酒に限らず、思いあたることは多い。


だからまずは上手に両極を行き来する。

結果としてのバランスや
中庸を目指すことにする。
(と、不器用さを正当化したい)

・・・
僕の場合。

週3回徹夜した後、高熱で倒れたこともあれば、
ある日いきなり無職になって、ヒマを極めたこともある。

飲みすぎて記憶を失うこともあれば、
3ヶ月くらい一滴も飲まずに過ごせた。

こういう両極でバランスが見えてくる。


最初から的の真ん中をねらうよりも
投げた後に的までの距離を測ること。

どんな経験もそれなりに
(あとで)意味がわかるものだ、と思う。

それこそが20代の
(ほぼ唯一の)つよみではないだろうか。


方向性や結果としての「無理をしない」を目指す。


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【後記】
ヴィンテージ古書を購入。
届くのがたのしみ。