mixiの足あとにおもうちょっとした浪漫について

ふとmixiの足あとをみるとなつかしい人が。

3年ほど前に会ったきり。
(長い人は小学校以来もあるがそれはまた別)

時を経た変化や節目もネットで共有できる。

転職、結婚、海外生活。

変化の中で「また会えるかな」というあわい希望。

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再会は、今の歩みの延長にしかない。

と、思わせてくれたのは、予備校でお世話になった
英語の西谷昇二先生の最後の授業での話。

「人生の出会いは、それぞれの道の中である時間
交差する点のようなもの。

その時間は終われば一瞬でもある。だから点。

一度交わった道は、点で終わるかもしれない、
さらにその先で、線になるかもしれない。

だからまたどこかで会えるのをたのしみにしています」

そうして出版記念講演会でちょっとした再会を果たす。
(が、それも話を聞くという点でしかない)

・・・

日々、多くの点の中で、点滅の中で生きている。

名刺交換もそう。

極端な話、翌日顔を思い出せない出会いだってある。

ネットの上ではなおさら。だから、想像力は見せ方は大事。

・・・

ただ、見せ方以前に「また会えるかな」と思える人、
思いたい人がいる。

関係の点が、線になることを願いたいとおもうことがある。

・・・

mixiの足あとをみてメッセージを送る「点の再会」よりは、
互いの時間軸でのコミットメントの「線の再会」をねがう。

それが、今の仕事や生活の原動力のひとつでもある。

この年にもなれば、未来への暗黙の約束を、
じつは多くの人と交わしてきたと、振り返っておもう。

mixiの足あとには、時を経た「沈黙の会話」と
「約束の点検」があるのではないか、とおもう。

想像や妄想の域であっても、今の自分の断片であった事実。

恩とか縁というのは、そういうものとおもっている。

コメントもあしあとも遺さないけれど、
そういう距離感の人が、見えないところで多く育まれている。

mixiの足あとに限らず、ウェブにはちょっとした浪漫がある。


線の再会を目指す