生命力の確かめかた

自らの死がよぎる瞬間。

・・・

友人と海に行く。

テトラポットもブイもない岩場で泳ぐ。

すこし、遠泳をしようとひとり沖に向かう。

気がつくと正面の視野はすべて海。

振り向くと陸が遠い。

海は行ったら戻る必要がある。

陸に体をむけて引き返す。

・・・

少し時間がたって気づく。

まっすぐ進んでいる感じがしない。

目印の島と自分の位置がずれている?

普段泳いでいるプールとちがって
線がひかれたコースなど、ない。

まっすぐ進む感覚が鈍る。

前に進んでいるのかもわからない。

沖は波も高い。

前にすすむことすらなく、
むしろ沖に流されているのではという不安。

・・・

すこしあせる。声も届かない。

「ヤバくないか?」

恐怖は体を緊張させる。

あせりとともに呼吸が荒くなる。体も重くなる。

水温が下がっている気がする。

心地よかった海が、突然おそろしくなる。

しかしあせったところでだれも助けてくれない。

自分の力で戻る意外、生きる選択肢はない。

すこし死をおもう。

どこかで「生きろ」という声が聞こえる。自分の中の咆哮。

・・・

泳ぎ方を変える。

体力をなるべくつかわずに少しずつ、確実に前にすすむ。

これは競技ではない。陸に泳ぎつくためのもの。

顔を沈めて8メートルほど下にみえる岩場をみる。

タイルのような岩の一つ一つを目印に、陸に向かう。

そうやって、浅瀬に近づく。

陸で心配そうに待つ友人をみてほっとする。

友人いわく「やばいとおもった」

・・・

自分の命が危険にさらされることは、日常あまりない。

しかし、海で働く人や昔の人の多くは、おそらく毎日
こういう命の危険という緊張感の中で生きていたのだ。

だからこそ、自然に畏怖し、祭りや奉納を行う。

自分よりも、自分以外のなにかを大切にする。

(それが自分のためだった)

・・・

あたりまえのことを忘れたときは
意識や言葉では、わからない。

ただ、すこし身を、命を自然にさらす。

そうしてはじめて気づくことがある。

そうしないと気づかないことがある。

「自然をなめてはいけない」

・・・

振り返れば過ぎたことだが
学んだことは大きかった。

その日から、
生命力について考えている。

「○○力」をつきつめると生命力以外にはない。