才能の測り方
「才能」というのは「努力できること」を含んでいる。
ある活動のためにいくら時間を割いて、
どれほどエネルギーを注いでも、まったく苦にならないで、
それに従事している時間がすみずみまで
発見と歓喜にみたされているような活動が
自分にとって何であるかを知っていて、
ためらわずそれを選びとる人間のことを
私たちは「才能のある人間」と呼ぶのである。
『子どもは判ってくれない』内田樹
この定義から、才能は「アウトプット」ではなく、
その活動で引き出される「快楽の総量」で測るという。
快楽は、プロセス自体が目的となるもの。
平泳ぎの北島は、金メダルをとることよりも
泳ぐことそのものが「チョー気持ちいい」はずだ。
ランナーズハイやゾーンのように
比較ではなく、自己の探求であり、
プロセスの中で「快楽や愉悦を引き出す努力」。
だから、モデルをまねたり、あこがれるのではなく、
一流の姿勢や価値観から、自分のベクトルを確かめる。
作品から受ける刺激は
「こうなりたい」よりも、
「この人くらい人生楽しめているか」
という快楽の尺度と問い。
・・・
書くことも同じ。
どこかで「入る」感覚をもつと
その感覚を目指して書けるようになる。
自分が「ライターズハイ」になれるテーマや文体、
さらにはコミュニケーションスタイルがその人の「書く才能」。
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「ライターズハイ」を目指す。
●関連
「尊敬」から卒業する必要はないが、「憧れ」からは卒業せよ。
http://d.hatena.ne.jp/sotacafe/20090227
【後記】
ブログを書きながら
いいインスピレーションが湧いた。
が、まとめきれないので保留。