コミュニケーションに絶望した人だけが、コミュニケーションを渇望する。
我々は、「言葉」にて語り得るものを語り尽くしたとき、
「言葉」にて語り得ないものを、知ることがあるだろう。
ヴィトゲンシュタイン
学生時代、田坂広志さんの本でこの引用に出会った。
それからは読み、書く量を増やした。
でも、その度にかえって「語り得ないもの」が遠くなった。
学び、知るほどわからなくなっていく。
・・・
コミュニケーションに絶望した人だけが、
コミュニケーションを渇望する。
『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。』きつかわゆきお
なにかを信じる人は
なにかに絶望した人だ。
語り得ないものに向けて
語ろうと道を歩み続ける人だ。
・・・
この文章を読んで、僕はたまに
「読むことと書くことに絶望しているだろうか?」
と、問うようになった。
答えはまだ、わからない。
けれど、なにかを渇望しているのは確かで。
その語り得ないものに向かっているのも確か。
ウィトゲンシュタインは、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
ともいった。
沈黙がたどり着く場所だとしても
まだしばらくは語ろうと思います。
【後記】
六本木で映画「おくりびと」を観る。
ここ数年で一番泣く。
その後は吉祥寺で友人のバンドのライブを聴く。
ライブハウスに行ったのは10年ぶり。