自分という謎の書きかた


私たちがものを書くのは、
「もうわかっている」ことを出力するためではなく、
「まだ知らないこと」を知るためです。


自分がつぎにどんな言葉を書くのか、
それがここまで書いたセンテンスとどうつながるのか
が「わからない」ときのあのめまいに似た感覚を求めて、
私たちは言葉を手探りしているのです。


『態度が悪くてすみません』

人は「まだ知らないこと」を書けるのだろうか。

答えは書ける。

なぜなら知っている=言葉として意識化されている
ことの方がすくないから。

それと「私はそれを知らない」と書けるから。


自分という謎に切りこむには
「知らないこと」から始める。


そのための方法を2つ。

1 まわりの人にテーマをもらう

「なにを読みたい?」と聴く。
それについて、とにかく書いてみる。
(ぼくはこれをたまにやっている)


2 書きながら質問をつくる

学生時代に先生から教わった
文章を対話形式にする方法。

・そうなると→
・そういえば→
・しかし  →

1文に接続詞のバトンを加えることで
文章がリレーをはじめる。
流れを止めないためのバトンをもっておく。


書きながら、言いたいことが見えてくるときは
後で読み返して「いい文章」になっていることが多い。


いいインタビューや会話も同じ。


インタビューをしているときに、相手が
「あ、今いいこと言っている」と
その場でメモを取り出す人がいる。
こういう人はネタが枯れることはない。


一番大事なことは、文章でも会話でも
「よい問いやツッコミ」をしてくれる人を
まわりにもつことだ。

これはお金を払ってでも(ご飯をおごってでも)
やってもらう価値がある。



知らないことを書いてみる。


【後記】
上野の東京都美術館
「生活と芸術―アーツ&クラフツ展」を見に行く。