哀しいから笑う:浦沢直樹さんが描くユーモアの本質

sotacafe2009-03-02

新刊の『PLUTO』(浦沢直樹)を読んで思い出した。

3年くらい前に茂木健一郎さんと
浦沢直樹さんの対談を聞いた。

浦沢さんは

「ぼくはユーモアを表現したい。
きれいごとではない人間の影を描きたい」

ということを言っていた。

そこで茂木さんが
ユーモアで思い出した友人の話。


友人がお葬式に参加した。

みんなが悲しみにくれている中、
一通りの行事を済ませ、夕食になる。

そこで、料理の注文を聴いて
まわったときに言った一言。


「俺、大盛」


死を悼むなかでも
生きている者は食べないといけない。

これってユーモアですよね、と。

・・・
これが、すごく印象に残った。

きれいごとではない現実であり、
人の性(さが)なのだ、と。


ただ哀しいとか
ただ面白いではない。


人の感情は独立していない。
喜怒哀楽は別々ではない。


喜びと哀しみがユーモアをつくるのように
矛盾した感情が輻輳したときに起こるもの。


そこにユーモアと共感がある。


ユーモアは、人が生きる知恵だ。
弱さを味方につける方法だ。


PLUTO』を読んで浦沢マンガに通底したテーマを、
さらには原作の手塚マンガにある哲学をおもう。



悲しいことを笑う。輻輳する感情を書く。

PLUTO (1)



【後記】
最近、水(プール)がある生活が必須になっている。
いつか、海の近くに住みたい。