人との距離は会話の量ではない:話しかたより黙りかた
金曜の夜の街。
人でにぎわう風景をみると
おもいだす言葉がある。
私は、現代人が失いかけているのは
「話しあい」などではなくて、
むしろ「黙りあい」だと思っている。
『両手いっぱいの言葉』寺山修司
バーカウンターで話すのがすきだ。
ジャズに耳を傾けながら
同じ時間と風景をちがう目でみる。
静かなジャズが流れるバーには
沈黙や間をつくることができた。
たぶん、これが「黙りあい」。
バーに行くと
長くつきあえる人とそうでない人がわかる。
・・・
理解しあうこと、他人との距離が近づくことを、
できるだけたくさんの言葉をかけることと
混同している人が多い。そして言葉を重ねれば重ねるほど、
言葉が逸れているという空しい思いにとらわれる。言葉の過剰が<出逢い>の可能性を
遠ざけるのだ。
『ことばの顔』鷲田清一
最近、バーにあまり行かなくなっていた。
黙り合いの時間がもっとあってもいいな、と。
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ときには黙り合う。
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【後記】
マンガを買いこむ。
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