人は「論理で納得し、感情で行動する」のだろうか

sotacafe2009-02-19

今日の夜、駅の改札を下りると
1年ぶりの知人に声をかけられる。

終電時間に「お茶でも」と
言えるのがご近所のいいところ。
(だからみんなで近くに住もうと提案している)
 ※東京で、村をつくる
  http://d.hatena.ne.jp/sotacafe/20080214/1202952314


近況を報告しつつ、
仕事や生活が変わっても
根本は変わらない。

・・・

「私がソウタから学んだことは
ちゃんと考えること。」


なるほど。

僕はその人からまったく逆のことを学んだ。

考えないでも動くこと、動けること。


その人はとにかく行動がはやい。
決めたら仕事も家も置いて動く。
ときに海外、ときに国内を放浪する。

人と会い、話し、行動し、体験を血肉にする。

旅に出て戻ってきたときの話は、生の体験だ。


日常に収まっている自分がすこし小さくみえた。

なぜ、それだけすぐに行動できるの?と聴くと

「考えなくても動くんだよね。身体が。
 動いたあとに考える。」

なるほど。

・・・

人は論理で納得し、感情で行動するという。

本当だろうか?

モノを買うときはそれでいいかもしれない。

仕事はどうだろう。

日ごろ、感情で納得できなくても
論理で行動することは多々ある。

僕の場合、大きな組織にいたときはこうだった。
そういうものだと勝手に思いこんでいた。
これがストレスの素。

論理だけで納得させられ、
感情はおさえて行動する。

身体には精神よりもはるかに常識が備わっているのかもしれない。

危ないときはきちんと信号を送ってくれるし、
限界がきたら拒絶反応を示す。


「身体の常識」『ことばの顔』鷲田清一

その後、このストレスを身体は察知した。

ある種の拒否反応が出て
自分は向いてないんだな、と
アタマではなく身体で納得し、行動(退職)した。


身体のほうアタマ(脳)よりもよっぽど常識的だ。

ただその常識をおさえこむ「何か」に
もっとはやく、長い視点で気づいていたら
対応が変わっていたかもしれない。


と、今さらながらにおもうが、それはそれ。
だかこその今があるし、論理と感情の納得もある。



身体で考える。

関連エントリー
人間て、わりと簡単に壊れます。
http://d.hatena.ne.jp/sotacafe/20090218/1234962793


【後記】
昨日のエントリーはいつもの10倍以上の反響が。