幸福でない方が書ける。けれど・・・


一般に、ものを書くには、人間は
あまり幸福でない方がいいらしい。

『知的創造のヒント』外山滋比古

かと言って、不幸な人だけが書けるわけではない。


もっと言えば不幸でいながらも
そう思っていない人が書けるとおもう。


「わたしは不幸です」と
主観で語る文章は読みたくない。読まれない。


そうではなくて
不幸自慢を「ネタ」にする。笑いにする。

不幸にカギカッコをつけて、距離を置く。


主観体験を客観化する。


時間を経たあとに懐かしみつつ、
リアリティをもって語る。
(『ホームレス中学生』のような)

・・・

「(端から見たら不幸ですが)意外と幸福ですよ」
と言えること。

時間が経ってはじめて語れること。

・・・

僕の場合も、無職になって失業保険をもらうために
職安に通ったけれど、意外と気楽だった。(と、後に
仕事を得てから言うからいいのであって)


当事者のままでは、語れない。
だから代弁者やメディアがある。


時間を経てに、
「あのときがむしゃらだった自分」を語ると
意外にたくさんのことが書ける。




「(一般的に)不幸、不遇だと思われる時期」
を思い出して、距離を置いて書いてみる。