続・言葉のOS:20代の肉体労働
言葉のOSは生活にある。
生活の要素は時間ともうひとつ、身体だ。
村上春樹は、書くものが生活で
変わることについてこう述べる。
それは、僕が二十代を通じてずっと
肉体労働みたいなことをして生きてきた、
ということも大きいと思うんです、僕の中で。やはり。
それ=書くものが生活で変わること。
20代の村上春樹は、ジャズ喫茶で
一日中音楽をかけながら食事をつくり、
接客をしていた。
日々は肉体労働だった、という。
そのことがタフに生きることと、
後の走ることのきっかけになっていたように思う。
ある人が、20代の人生相談に
「もっとバカになったら?
オレの20代は、アタマはそんなに使ってなくて
カラダで勝負してたよ」と。
・・・
ヘンに賢くなるよりもやるべきこと。
生活と身体。
ごまかせないものを共有して勝負する。
・・・
ぼくの場合は、以前友人としていた
ルームシェアの影響が大きい。
ルームシェアは空間だけでなく、
時間と身体のみえない共有だった。
一人がフルマラソンを始めたことをきっかけに、
全員が何かしらの運動を始めた(再開した)のは、
偶然ではない。
環境の影響に気づき、推進力にする。
20代。
肉体労働がかなわなくても
肉体「生活」はできる。
こういうとき、10代を体育会系で
すごしてよかったとおもう。
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言葉のOS(=身体)も見直す。
【後記】
深夜に食べた恵比寿「山長」の
肉づけカレーうどんが格別だった。