無所属の時間で生きる:隙間をこじあける

本屋に行くとジャケ買いならぬ「タイトル買い」をする。

本のタイトル=コンセプトに共感すると、
その時点で「買い」になる。

そのひとつ。

『この日、この空、この私
 ―無所属の時間で生きる』

城山三郎さんのエッセイ。

「無所属の時間」ということばにひかれた。

城山さんが戦後最大の財界人言われる石坂泰三を調べている中で、
出張をするときに必ず「空白の一日」を入れていたことに注目した。

忙しい人がどこにも関係のない、属さない時間を過ごす。
これを『もう、きみには頼まない』の中で「無所属の時間」と呼んだ。

・・・

ふだんは縁のない街へ出かけ、交通時間の乱れや先方の都合なので、
ぽっと時間が空いたときには、何か思わぬ拾いものをした気がする。

そこには真新しい時間、いつもとちがうみずみずしい時間があり、
子供に戻ったような興奮さえ湧く。
[・・・]
無所属の時間とは、人間を人間としてよみがえらせ、
より大きく育て上げる時間ということではないだろうか。
(同書)

・・・
ぼくもこれは意識的にやっている。
出張をしたら翌日はなるべく休む。

とくに関西出張をしたときは、
京都の街の外れのあるお寺に行く。

そのお寺の境内で、ぼーっと最低1時間は過ごす。
人があまりこないので、長居してもなにも言われない。

借景で広がる比叡山の夕暮れは
何にもかえがたい時間。

そうしていつも、いつか再び
京都に住もうと決意する。

・・・

読書もひとつの「無所属の時間」だ。

時間をつくり、いつもの場所で
いつもとちがう時間をすごせる。

・・・

無所属の時間をつくれる人は、
日々をすこし楽に生きられる。

・・・

でも、ほんとうにだいじなことは
多忙な中で訪れる空白の時間に
身をゆだねることではない。


空白をむりやりでもつくる。
隙間を「こじあける」くらいの気概がほしい。


そうでもしないと、ネットとケータイに
支配された生活と仕事の中ではなかなか
「無所属の時間」はできない。
・・・
もちろんほんとうに「忙しい」と声も
出せないくらいの人たちは
「がんばって休む」くらいしないと。
・・・
だから城山さんも言う。

不幸なことだが、入院生活にも
それ(無所属の時間)に似た部分があるようだ。
(同書)

入院する前に、
意識的に空白の時間を入れておく。



「無所属の時間」をつくる。

無所属の時間で生きる (新潮文庫)

関連エントリー
空白と余白について

●未来エントリー
・所属の時間のずらしかた
・非属の才能


【後記】
今年も伊勢丹新宿本店でチョコレートの祭典
「サロン・デュ・ショコラ」が始まりました。
昨年は友人とここでチョコを買い集めて、
ワインや珈琲と食べる「極上ショコラの会」をしました。
今年は仕事で開催できませんが、また似たことをやりたい。
(年末には友人宅でチョコフォンデュをしました)