動かない時間:組織(空間)よりも個人(時間)の勝負

相手の時間の使い方や工夫を聞くと
知的生産性がみえる。

とくに考える、アイデアを生む仕事の場合。

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創造的な時間の使い方は「忙しさ」とは異なる。
むしろ逆である。

二人の言を引く。

●時間に従っても価値はない

情報時代の特徴を一言でいえば、
時間の拘束から自由になったということだ。
自由になったと聞くと、なにか楽になった感じがするだろうか。
その感覚は一面的な甘さだ。
裏側の真相は「情報社会では、毎朝決まった時間に出勤し、
時間に従って、決まった時間まできちんと働いても、
価値を生み出せる保証はない」ということだ。


『「ムダな時間」の充電力「バカな時間」の開放力』キャメル・ヤマモト

●組織ではなく時間の勝負になる

これからの知的生産は、
組織ではなく時間の勝負になるのではないでしょうか。

僕は「在野の時代」が来ると思っているんです。
大学などの組織に属していなくても、時間が自由に使える状態にあれば、
それはとても大きなアドバンテージになる。

早期にリタイアした人や、結婚して仕事を辞めた主婦などに、
高度な知的能力を備えた人が少なくありません。
事務処理や会議に忙殺されて知的生産の時間がとれない大学教授よりも、
時間を自由に使える在野の人が輝く時代が訪れるのではないでしょうか。

[・・・]
より総合的な知的能力や言語化する能力、
その結果の知的生産物という点では、どうでしょうか。
これからの時代、知的活動において、時間がない人こそが
圧倒的な敗者になるのではないかと思います。


「グーグルに淘汰されない知的生産術」
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080509/p1
梅田望夫

両者とも、知的生産というこれからの働き方において
とても示唆に富む指摘をしている。

まとめれば
「組織(空間)ではなく、つながりをもった個人(時間)の勝負になる」
ということだ。

日々の雑務に追われるだけの人よりは、忙しくなくて、
知的生産ができる時間をもてる人が有利になるということだ。

・・・

では、具体的にはどうするか。

キャメル・ヤマモト氏は、「慣習的な時間を破壊すること」という。
従うことが自然な既存の仕組み=慣習の奴隷になることをやめようという。

昨日の会議・会食・通勤しかり。


梅田さんも具体的に実践している。

 僕の場合はある時から、自宅のあるアメリカのシリコンバレーでは
可能な限り人に会わず、物理的な移動をしない、
というルールにしたことで、知的活動に割ける時間が一気に増えました。

今は一日中研究したり勉強したりしていると言ってもいいくらいです。
そして、そこで得たものをムダにしないよう情報の整理に心を砕いているのは、
既に述べたとおりです。

昨日の話でいえば、「会食・通勤」をやめたということになる。
会議はネットで済む。
いち個人が探求すべてき知的テーマを見つけた場合、
ある程度はひきこもってできることが多い。

(とくに書くことにおいては)
・・・
ぼくも、土日のどちらか一日は家か近くのカフェ以外は動かずに、
読み、書き、考えることに集中するようにしている。

人に会う、動くことが仕事の人ほど「動かない時間」をつくる。
(普段は泳ぎ、走るけれど、動かない座禅も必要なように)

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もうひとつ、アイデア

>早期にリタイアした人や、結婚して仕事を辞めた主婦などに、
>高度な知的能力を備えた人が少なくありません。

一時期、こういった人と仕事をしていたが、
あたらしいホワイトワーカー(知的生産者)
のマーケットがある、とおもっている。

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●関連して書きたいテーマ(未来投稿)
ピカソが提示した時間価値のはなし
・ 知的体育会系「ネットアスリート」
・ 技術の価値のモノサシ=時間×お金


1週間のうち1日、研究(ひきこもり)の日をつくる。
「ムダな時間」の充電力「バカな時間」の開放力―「時間病」の治し方 (講談社プラスアルファ新書)


【後記】
電車に座っていたら、隣のサラリーマン風の男性が『罪と罰』を読んでいた。