コミュニケーションの運動とブランドの運用

昨日のブログに対して
Kosukeくんのコメントから。

そうた君のブログを読んだ後に、
間寛平さんのEarth MarthonのWEBを見て、
ちと考えたのは、短く書き、短く考えることは、
書き手と読み手の持久力を維持する為にも、
大事なのではないかと思ったりしました。

運動と持久力。

書き手が書き続け、
読み手が読み続けること。

やりとりそのものが続くこと。
・・・
続けるために、短いパスを出すこと。

心地よい卓球のラリーは、
球の速度よりも、音のリズム。
これが、運動の本質ではないだろうか。
・・・
昨日「思考が長いことも大切」といった理由は
運動を続けるため、という話が以下。

情報の力というのは、受け止められ、
脳の中で消費されるのではなく、
相手の脳を運動させ、さらなる興味を引き出すことです。
[・・・]
理解されるとコミュニケーションの運動はそこで終わってしまう。

誤解を恐れずに言えば、理解されるということは、
消費されるということでもあるんです。

だからブランドの運用にしても、
永久に理解から逃れ続けていくというか、

理解したと思われないように、
いつも未知なもの、新鮮なものとして
興味を更新させ続けることが大事なんです。

「なぜデザインなのか。」原研哉 阿部雅世対談

ぼくは、曖昧さの中で了解されている
「コミュニケーション」という言葉を
普段つかわないようにしている。

けれど「コミュニケーションの運動」と
言われると「これは使えるな」と。

・・・

>理解という消費から逃れる。

>興味を更新させ続けること

ラリーを続けるために
少し早くて短いパスを出す。

だから、短く。
・・・

2007年の10月にも似たテーマで書いた
「誤解の総体で理解すること」

反応をもらえるように書く。
(ラリーを続けるために、短いパスを出す)

なぜデザインなのか。


【後記】
Jognote再開(右サイドバーご参照)。SNSとしても使えますね。