言葉には身体がある(1)言葉の肌ざわり

書く上で切り離せないテーマが「身体」。

「言葉には身体がある」という話の導入として。

■言葉の肌ざわり(谷川俊太郎


詩というのは言葉だから意味があるものだ、
と思っている人が多くて、すぐに主題はなんだ、
何がいいたいんだといわれるけれど、
ぼくはノンセンスな詩を読むことで、
ある種、それに抵抗している。

ことばというのは意味だけではなくて、
響きもあるし、イメージもあるし、
肌ざわりもあるということを、
ノンセンスな詩のほうがずっと伝えやすいんです。

そういう、ことばのもっている肌ざわりの感覚を忘れて、
みんな意味だけを求めすぎる。

『身体のダイアローグ―佐藤学対談集』
での谷川俊太郎の言葉

谷川さんの擬音語だけの(ナンセンスな)詩が
語ることは、言葉=意味ではない、ということ。

意味のフィルターを外して、響きやイメージ、
肌ざわりでとらえる。

 
「言葉とイメージ」を探求した画家、
ルネ・マグリットの作品で、落ち葉の絵に
タイトルを「爆弾」とつけたものがあった。




意味を追わない。たまには詩を読むなどして。


【後記】
12月も後半です。あっという間に年の暮れな
はやさの中でふり返り中。
はじめることとやめることのリストアップ。