自立のために知っておくべきこと

日曜日は「生きること」編。

最近、世代を越えたつきあいや読書の中で、
今の時代を言語化する必要があると思っている。

今を考えることは、過去を省みて、未来に備え、
今を生きること。

・・・

と、同時に日々の生活の指針、
考えかたとしての思想がいる。

今日は実験的メモ。

たった数行フレーズが、
自分の生き方の指針になることがある。

・・・

村上龍の小説を「自立とは何か?」という問いを、
抽象的な議論ではなく「何をして生計を立てるか?」
という具体的な問いになっていることを引きつつ、
自立を定義する。

<自立のために知っておくべきこと>

自立というのは、ある意味では単純なことだ。
それは要するに「バカな他人にこき使われないですむ」ことである。
(略)
「どうしたらバカな他人にこき使われずにすむか?」という問いを
切実なものとして引き受け、クールでリアルな努力を継続した人間だけが、
他人にこき使われずにすむ。

しかし、こんなに単純なことなのに、
それを若者たちにアナウンスする人は驚くほど少ない。

内田樹『子どもは判ってくれない』

自立ではなく、自立をしていない状態の定義が明確。
だからこそ説得力がある。

具体的な定義は以下。

「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と思われている人、
それゆえに、人々に信頼され、何かにつけて相談を持ちかけられ、
忠告を求められ、助力を仰がれ、責任を求められる人のことである。


「自立している人」というのは、その判断が熟慮されたものであるために、
ほぼ常に適切であり、またいったん決断したことは容易には阻止介入することの
できぬほどの実力的な基礎づけを持っている人のことである。


自立というのは、単体で存在するものではない。
それは人間たちの入り組んだ関係の中で、
複数の人々を巻き込んだ利害のややこしい事件を経由したあとに、
「ああ、あの人は『自立した人』だったんだな」という仕方で
回顧的にしか検知されないものである。


自立というのは宣言や覚悟によって獲得できるものではなく、
長期にわたる地道な努力を通して獲得された「社会的な信認」のことなのである。

自立に必要なのは、「社会的な信認」を得るための「実力的な基礎づけ」。

こうしてぼくは会社ではなく、社会の中で、この二つを得るための
道を歩む決意をした。

周りの大人はアナウンスしなくても、
本にはちゃんと書いてある。(村上龍の小説も)

社会人1年目で、この文章に出会って良かったと思う。
同時に村上龍を読む目も変わった。

子どもは判ってくれない (文春文庫)

【編集後記】
今日はパーティが3件ほど。