書くことはロマンである
昨日紹介した「祈りの痕跡」展で
浅葉克己と松岡正剛が制作した「魂跡抄」を
たまに読み返す。
これはパウルクレーや安藤忠雄、夏目漱石、アインシュタインといった
クリエイターやアーティスト、科学者、文学者のノートやメモを集めたもの。
冒頭の松岡正剛の文章。
私たちのあらゆる活動と作業は
どこかに、何らかの痕跡を残している。その痕跡をつくるのは、風であり、砂であり、声であり、足であり、
指であり、紙であり、布であり、鉛筆であり、ノートであり、日記であり、
録音機であり、思い出であり、メモランダムであり、墓碑銘である。痕跡に記されたものとはなにか。
それは影である。像である。容である。
肖であって、徴であって、兆である。
印象はそこに立ちあらわれ、形姿をつくっていく。そこには神々の文字も、仏たちのイコンも、
民族の怒声も、家族の微笑も刻まれる。私たちはそれらに耳を澄まし、目を凝らしたい。
「痕跡から魂跡へ」(松岡正剛)
メモには痕跡があり、流れていた時間の
記憶が潜んでいる。作品の手前にある葛藤の記録こそが、
生きている様なのだ。
5年前、はじめてつくったブログのタイトル。
「Twilight〜ウツロイユクキオクトキロク」
・・・
ぼくは、書くことや残すことは、
ロマンだと信じている。
読むことは、あいまいで、うつろいゆく
記憶と記録から、その人の生の痕跡に触れる試みだ。
時の風化を経て、跡をたどる。
時がよみがえる、と想像してみる。
▼
自分が残すことの意味を考えてみる。
【編集後記】
今日も鍋でした・・・。