文字の誕生と祈りの傷跡
今日、ある人と「個性とは傷である」の話をした。
その人はその場でメモを書いた。
反応があるフレーズ。
生み出したのは橋本治、運んだのは僕。
言葉はこうして書かれ、残され、広がっていく。
・・・
5000年前、シュメール人が粘土板に楔形文字を刻んだ瞬間、
人間の思考、感情、芸術、科学は記録という行いによる永遠の生命を獲得した。「書く」という人類最大の発明から生まれる芸術や文化は、過去から未来に、
個人から集団に伝染する軌跡の痕跡である。「祈りの痕跡。」展 浅葉克己
同じニュアンスを柔らかくすると以下。(リアリティが変わる)
最初に痕をつけたのは、誰か。
5000年前、粘土板に楔形の“しるし”を刻みつけたのが
文字の誕生と言われています。その瞬間から考えや感情、人間の情熱や才能、芸術や科学は
永遠の命を約束されました。文字ほど人類に大きな影響を与えた発明はありません。
(同上)
昔の人は粘土板や甲羅、骨に文字を刻んだ。
書くことは傷をつけることだった。
書かれた文字は、傷跡であり痕跡。
祈りの跡としての文字のはじまり。
そう思えば、ウェブ上の文字も文章も
だれかの傷跡であり、祈りの痕跡なのだ。
表面的に浮かんでいる文字の前に、
なにを刻もうとしていたのか、
残そうとした傷はなんだったのか
を少し想像してみる。
・・・
古来、書くことは祈りであった。
じつは今も変わらないのではないか。
文字という痕跡、傷跡から
どんな「祈り」をこめて
書くか、そして読むか。
※画像は展示会パンフレット「魂跡抄」の表紙(浅葉克己)
展示会(終了)のサイトはこちら。
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文字や文章を、痕跡や傷跡として読んでみる。
【編集後記】
季節柄、鍋が続いています。
かき、ちゃんこ、チゲなどなど。
しばらく続きそうです。