個性という傷

文章を書く原理として、
「自分にしか書けないこと」をあげた。

これが簡単ではない。

ものごとの原理ほど、
言葉として共有しつつも、
行動しづらいものだから。

・・・

「自分にしか」というのは、個性である。

では、個性とは?

作家の橋本治は、「個性とは、傷である」という。
一般性の先で「破綻」した傷が個性であり、
個性を獲得することは破綻した傷の「修復作業」だという。

この内容を収録した『いま私たちが考えるべきこと』を
2004年に読んだときには、正直よくわからなかった。

まだ、社会人になったばかりで「一般性」の獲得に、
適応することに必死だった。その後、大企業を辞めて
フリーになって、その意味がわかりはじめた。


一般性という常識から外れる(破綻する)
ことで得た傷からどのように回復するか。

自分のために書く行為は、
傷の修復作業でもある。

誰かのために書く行為は、
傷の修復を経てだれか傷を癒すかもしれない。


書くことは自己治癒であると村上春樹は言った。

一般的な文章から、自分にしか書けない「個性ある」文章を
つくるには、「破綻」という壁を越える必要がある。

文章に限ったことではない。乗り越えるのは自分。

橋本治は「個性をなめてはいけない」という項目の中で、

構成の門口は、「破綻」という形でしか訪れてくれない。
その破綻によって出来た傷の痛みに堪える力のない者は、
「個性」なんか目指さない方がいいのである。
(略)
一般的な達成を得た人間は、「自分のいやなところ」という形でしか、
「個性」とは出合わない。だから、この人間が「自分のいやなところ」
という形でしか、「個性」とは出合わない。

だから、「自分にはいやなところがない」と思ってしまえば、
この人間は「自分の個性」とは出合わない。


個性とは、傷である。

僕はこの文章に出会って、
4年経ってやっと個性と傷と文章、
がつながってきた。

まずはこの認識から。


個性を目指すなら「自分のいやなところ」と出合う覚悟がいる。

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

【編集後記】
室内プールで泳ぐのが習慣です。
帰りが寒くないのでおすすめです。