あの日の空のことを書く。
なにかを思い出して書くとき、写真は記憶のトリガーになる。
ふと思いついたら、ケータイのカメラで撮る。
見たものだけではなく、その時の気持ちを撮って
残しておく。
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この空は、出張で梅田から京都に向かう阪急電車の窓から見た空。
夕方にさしこむ光と流れる雲のコントラストが、忘れられなかった。
この空を、いつか書こうと思った。
じつを言うと、空のことを書きたかったのではない。
この空は、知人が亡くなったことを聞かされたときの空だったのだ。
mixi経由で、その人の友人からの連絡だった。
前に友人と話したことを思い出した。
「たとえば自分がこの世からいなくなっても、ブログやmixiは勝手に
残っていて、だれかの目に触れたりする。それってすごいことだ」と。
亡くなったその人のmixiには、最近の写真も日記も、形を変えずに
残っていた。はじめてあじわうデジタルと想像のあいだにある人の死の感触。
途方に暮れたときも、何かを書くことで前に進めるかもしれない、と思った。
・・・
書くことのは、パソコンの前ではなく、日々の体験から生まれる。
できれば、これを書こう、ということを後から思い出せる工夫は
ツールとして持っておくといい。
一枚の写真から数百字の記憶を呼び起こすことができる。
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大事なことを忘れないために残すのではない。
残すことで忘れなくなるのだ。
記憶する、という覚悟をもつこと。
そのための方法のひとつに、「書く」がある。
この一枚が、後で問いかけるものの大きさに、
時間を経て気づいていく。
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ケータイやペンとメモなど、自分なりに書くために「残すツール」を使う。