手短に話をさせるための「質問力」
自転車で、外苑前あたりで、
ふとおもった。
聴くことや質問力ブームの裏側ってなんだろう?
ここ数年、カウンセリング、コーチングがブームになり、
コーチという人が増えた。
話すよりも、聴くことに意識が行く。
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みんなが、聴こうとしている。
「口がひとつで耳がふたつなのは、
話したことの2倍聴く必要があるから」と
言ったのはセネカだった。
はたして、本当に
みんな「聴きたい」のだろうか?
・・・
ものごとは、逆から考えるといい。
結論。
話す人が増えている。
話したい人が増えている。
ブログという書き手、話したがり、
その裏側を自己承認としての「聴く」。
人は欲しいと思うものがあれば、他人にあげる。
他者を経由してしか自分の欲しいもは手に入らない。
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ここ10年で、一般の人が得る情報量は410倍らしい。
情報収集力から遮断力へ、
聴く技術から聞かない技術へ、なんて流れになるかも。
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コーチという存在が必要なのは、
人の可能性を引き出す(エデュケートする)人が
いるとおもっていたが、どうやらそうではない。
自分の話を聴いてほしい人が増えたのだろう。
かく言う自分もしかり。
情報の供給過多=話したがり、言いたがりが増えた。
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そんな時代に、生き抜く方法として「質問力」。
情報は時間の奪い合いだ。
相手が話す時間に自分が出来ることは
聴くか、聴かない(無視する)しかない。
というわけで、『コンサルタントの質問力』。
上手な質問は相手になめられない、
というだけではなく相手を上手く黙らせる
ということにも有効ではないだろうか。
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つまるところ、質問力ひとつで時間の効率化を図れる。
そんな仮説をもって、本書を読み返すと発見がある。
上手く聴く技術としての質問から、
手短に話をさせるための質問。
so what,so why 以外の
「こうですよね?」と先回りできるだけの、
でも相手を押さえこまない聴きかた。
そういうことが、これから必要ではないか。
ということで、「質問」の再定義。