【読書のメタ認知】未来形の読書術(石原千秋)

未来形の読書術 (ちくまプリマー新書 62)

MOTトークショーでnumabooksの内沼君と
Review Japanの澁川さんの話を聞いてきた。

今、という時代の中でどのように本は
流通するか、させるか。

そこに批評やリコメンデーションはどう役立つか。

本とウェブの双方から、ユニークな活動を続ける
両者の話は興味深かった。

考えたテーマは大きく2つ。まず1つめ。

1.未来形のリコメンデーション

アマゾンの「この本を買っている人は、
この本も買っています」は過去の履歴から、
おすすめの本を探すしくみとしてシンプルかつ画期的だ。

ロジックが明解ですすめられる側も納得する。

ただし、本というのは、その人の今のニーズや
キャパを越えて、その先にあるものを示すもの
だと思っている。

これを、「未来形のコメンデーション」と澁川さんが
話していて納得した。現代は、これが少しとぼしい。

Googleの検索ワード以外の語彙に、
どのように自分の未知を広げるか。

何を知っているか、ではなく
何をしらないか。

何を読んでいるか、ではなく
何を読んでいないか。


未知の本は、自らを引き上げるきっかけになる。

僕の場合、高校生の時に、岩波新書で内田義彦や
マックスヴェーバーを読んだ時の不明瞭感。

ことばが入ってこない、理解できない違和感に、
将来読めるというのんきな期待はない。

けれど、そこからしか未知を理解することはない。

未知の、未来形の読書。

ということを考えていたら、手元に
1年前に読んだ『未来形の読書術』があった。

「未来形の読書」とは、未知の自分を置いて
著者との関係や、読むことをメタに考える本。

読書の醍醐味を、自分視点でとらえている所がユニーク。
知識の内容以前に、「読んでいる自分」を置くこと。

つまるところ、読書の醍醐味についての本。

・・・引用

本は自分を映す鏡だと考えれば、
それはこうありたいと願っている
未来形の自分ということになる。

つまり、いまよりは成長した自分である。

そういうあなたが読む限り、本はいつも新しい。

現実には、未来に書かれた本はない。

本はいつも過去に書かれている。

当たり前の話である。しかし、本の中に未来形の自分を探したいと願う人がいる限り、本はいつも未来からやってくる。

その時、本には未知の内容が書かれてあって、そこにはそうありたい自分が映し出されている。

これは、理想の自己発見のための読書、未来形の読書と呼べそうだ。

本はそれは読む人の鏡なのだから、その人読みたいように姿を変えるのである。

・・・

この話と合わせて、自分を安心させる、自己確認のための
「過去形の読書」も紹介されている。

これは、毒にも薬にもなる読書の効用を説く良書。

「なぜ、読むの?」

という問いは、読んでいる自分を一歩ひいてみることから。