【夫婦さがしの旅】『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹)
2年に1度、8年間で4回ほど読み返している長編小説。
4回目は、新婚旅行の時に読みなおした。
あらためて、これは夫婦の物語だった
とわかったような気がした。
ある日、自分の奥さんがいなくなる。
そこから探すとは別のかたちで物語は進む。
もっとも近くの人が、もっとも遠い。
それは、自身の深みと対峙すべき対象という意味で。
本書はこの深みを井戸というメタファで語る。
発言のひとつひとつが、示唆に富むのだが、
その意味は自分の状況による。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用
ねぇ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことは
誰にもできないんじゃないかな。
「さあこれから新しい世界を作ろう」とか
「さあこれから新しい自分を作ろう」というようなことはね。
私はそう思うな。
自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、
そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、
何かあればそれが『こんにちは』って顔を出すのよ。
あなたにはそれがわかっていないんじゃない。
あなたはよそで作られたものなのよ。
そして自分を作り替えようとするあなたのつもりだって、
それもやはりよそで作られたものなの。
(略)
どうして大人のあなたにそれがわからないのかしら?
それがわからないというのは、たしかに大きな問題だと思うな。
だからきっとあなたは今、そのことで仕返しされているのよ。
いろんなものから。たとえばあなたが捨てちゃおうとした世界から、
たとえばあなたが捨てちゃおうと思ったあなた自身から。
私の言ってることわかる?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夫婦の物語でもあるが、
生きてきた自分にオトシマエをつける物語でもある。
夏、少し長めの時間がとれたら
本書という井戸にもぐってみてほしい。
・・・
いつか、紹介しようと思いつつ
こういう切り口で出すとは思ってもみなかった。
まだまだ長く、つきあっていく本。