【適量の義務】『真昼のプリニウス』池澤夏樹
5年くらい前から
毎年見直している文がある。
つど、理解の意味合いが変わる。
変わらないテキストから変化をつかむ。
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日々はそれぞれに適量の義務を含んで到来し、また去ってゆく。
毎日の終わりにはちょっとした達成感があり、
それを七日分まとめれば一週間という日時を
有益に過ごしたことになる。
同じようにして一ヶ月でも一年でも、
時間という空の要域に何かを詰めることはできる。
しかし、その手応えに騙されてはいけない(略)。
うかつな者はそれだけで何かをやりとげたような気になるが、
次々に飛来する球をとりあえず相手コートに返しているだけで
全然得点していないということだってあるのだ。
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仕事だからではなく、実験感覚としての義務。
ルーティンという自動操縦状態をつくり、
機械化することで、人間性が見えてくる。
得点を意識せずに、できること。
意識しないと(いい訳しないと)できないこと。
その双方の車輪を、うまくまわすこと。