本棚があるだけで

子は父の背中をみてまなぶという。

教えなくても、自らまなぶことが
まなびなのだ。

今は情報やインフラが増えたから
熱心な親は教えることができるし、
関心の高い子も自ら学びに行ける。

逆に言えば、2次情報の過多で生のものに
触れたり、身体で経験する機会が減る。

どちらがいい、ではなくそういう状況。

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本来のおしえる-まなぶは
もっとファジーなもの。

自然という曖昧な存在、
たとえば夕暮れから夜になる時、
帰り道に何かと出会うかもしれない
恐怖という想像力がはぐくむもの。

自然だけではなく、人も。

あいまいでみえない関係、距離感の中で
日々影響しあっているなにか。

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つたわるものとして、
本棚の存在は大きい。

自分の年齢以上の時を経た本の群、
親が読み、考えてきた歴史の一部。

時の年輪が刻まれた本たちの風格。

そこには持つひと、読んだ人の
記憶も刻まれている。

赤ペンの跡もあれば、
めくったあと、カバーを外して
そのままになっているもの。

岩波文庫は、時を経て出てくる
味わい深さがある。ページを開くと
放置された納屋、もしくは誇りっぽい
屋根裏部屋のにおいがする。

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池澤夏樹江國香織の対談で
親の本棚の存在感の話があった。

子どもの頃、読まなかった本を
よく覚えている。

中を読まなくてもタイトルから想像する。
そこにある、ということが結果として
大きな意味を持っていた、と。

本棚はあるだけでいい。

自分が親になったら
読むことを薦める前に本棚をおこう。

5年、10年経って読んでも
いや、経ってこそはじめてわかるもの。

そういう本を選んでおく。
(じぶんのためにも)

背表紙が放つ空気、
本棚全体が持つ人となり。

曖昧さを共有する
本棚の存在について。

▼本棚を見直そう、本棚をおこう。

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(できたら木の本棚が理想)