2008→2009:あたりまえに良いことをあきらめない

いつもの今日といつもの明日がすこし特別な日。大晦日

今年は個人的にも世の中的にも変化の年でした。
おそらく来年はもっとこの変化が大きくなりそう。

一方で、普段の生活は変わらず続く。

日々の中で人と逢い、仕事をして
ご飯を食べ、読み、書き、運動する。

大きな変化の前には、小さな繰り返しという
基本が一番だとおもいます。
・・・

4年前、友人とはじめたルームシェアのコンセプト

「あたりまえに良いことをあきらめない」

「習慣」をキーワードに、日々続けるあたりまえを大切にする。

この考えかたから得たことは、仕事においても計り知れない。
そして、この考えはこれからの時代にもっと重視されるとおもう。
・・・
ということで、ちょうど今日再読した本
生理学の有田秀穂と芥川賞作家で臨済宗
副住職である玄侑宗久の対談
『禅と脳』(有田秀穂、玄侑宗久)から。

習慣と行、言語と身体化について
まとまっていたので引用。

【新しいことを習慣化することで人は変わる】


玄侑宗久
[・・・]変わるなどとは思わないで、新しいことを何か一つはじめて
それを習慣化すればいいんです。
そうすると自分の全体が自然に変わるものです。
(私は今も変化し続けていますから)
とりまとめの作業は要らないと思います。

【何かの行をして身体化することで腹に落ちる】


玄侑宗久
我々の思考とか行動を決定するものは理性でも感情でもない
「習慣」であると考えているわけです。
[・・・]
習慣が大事だというのは、何か「行」をしないと
まったく意味がないということです。
「仏教って素晴らしいよ」とか「禅って良いよ」といったところで、
また「こういう考え方がある、そういう考え方は素晴らしいね」
といってもそれでは他人事なんですね。
それを何らかの「行」をすることで体験化していくということで、
はじめて腹に落ちる。
人は思いつきから入るでしょうけど、それが確信になるということは
身体化するということだと思うんですね。
[・・・]
だから頭で考えたことというのは、そのままでは生き残らないんです。[・・・]
繰り返しそう思うことによって初めて確信になるんです。

読んでくれる人が、このブログをきっかけに行動する。
その人自身の「行」として体験化するような内容を書きたいと思います。

そのためには、やはり自分の日々の「行」ありきですね。

来年も、本ブログと古屋荘太をよろしくお願いします。


「行」の習慣化、身体化をめざす。

禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由
※最近、文庫化したようです
脳のちから 禅のこころ (だいわ文庫)


【後記】
晦日は地元の友人と集まってお参り。
かれこれ15年以上のつきあいですが
子どもが生まれたりと、変化があります。
よいお年を。