言葉の糸、文章のヒモ

言葉だけで人は
泣き、笑い、考え、買う、会う。

書いて、読むことでできる関係。

今は、言葉の公開に、元手はほとんどかからない。

自分の経験や思考から紡ぎ出された言葉の束を、
広大なネットに投げる。

ボトルに手紙をつめて海に流すように。

「message in a bottle」

言葉が、だれかを、
だれかのなにかをたぐりよせる。

・・・

言葉は糸のようなものだ。

文章は言葉の糸がつむぐヒモのようなものだ。
長さや太さ、手触りや感情をたぐりよせる。

読む(見る)ときは、ヒモをつかんでいる。
一方的だが、一応はつながっている。

たぐりよせる場合は、やりとりが起きている。
読み手が書き手のひもを引っ張る。

糸はまっすぐになっている。

・・・

肝心なことは、
適切な問題の大きさと適切な距離感。

サイズとレンジ。

言葉の糸をつむいでできたヒモは、
いまどういう状態か、を実感すること。

読み手が引っ張ったら、手を離さずに
その向こう側の人の声を聞くこと。

・・・

ブログを毎日更新しはじめて、
顔を合わせたことがない人から連絡が来た。

ひさしぶりの経験。

こういうことが本だけではなく、
ブログという身近なツールでできる今、
かんがえておきたいこと。

広告が求めるものは結果なのだ。

クライアントと精神科医が呼ぶのは患者のことだ。

彼はコミュニケーション不全に悩んでいる。

広告のクライアントも恋する者も、
そして深夜の街をさまよう少年少女も、
求めているものはこの現実世界での
確かな手応えであることだけは間違いない。

P31『最新約コピーバイブル』 一倉宏 伝

かつてぼくも、この「現実世界での確かな手応え」
を得るために、メッセージに入ったボトルを探した。

本で、そしてウェブで。今もそうだ。

だけど、それは自分がボトルを流すことでしか
わからないことでもあるのだ。


向こうでヒモをつかんでいる人と、話してみる。



【編集後記】
六本木ヒルズのイベントへ。

ビルの52階からみえる夜景はきれいだけど、
どこか寂しさをまぎらわしているような気にもなる。

あとは、なぜか「コネクティングドッツ
という言葉を思い出した。