読書の食わず嫌い考

友人のブログのやりとりで。

>読書の食わず嫌いって、どうしたもんかなあ、と思うわけです
>だって読む本がいっぱいありすぎて、
>どうしても興味のある本から読んじゃうから
>知らずに死んでいくジャンルの本って、いっぱいあるんだろうなあって

で、コメントしたこと。

興味あるジャンルからでも
とにかく読み進めることで
たどり着く場所があると思う。

井戸を掘り続けたら、地下水脈でつながる(かも)。

さらに横道だったりするから面白い。

音楽なら、
吉本ばななニルヴァーナとか。

料理なら、
村上春樹と男のひとり料理とか。

・・・

興味ないこと、
はそれそれで意識しておきたい所。

なぜ、好きではないか=キライな理由
だけでなく、
なぜ関心を持てないか=抑圧されたなにか。

無関心というのは
知らないのではなく、
積極的に隠している、逃げている場合がある。

抑圧された心的過程(トラウマ)が潜んでいる。

・・・

「見たくない現実、語られない真実」。

食わず嫌いの、食たべない理由、
ってなんだろう?

何を知らないかを知ることの
延長ではあります。

・・・

そんな時、いきなりラカンフロイト
読んでもハードルが高いので、僕は
内田樹を読み返す。

抑圧と分析的知性、トラウマ論を
良質な映画から知る現代思想の入門書。

●『映画の構造分析』

映画の構造分析

・・・

他にも、キライ以前にあるジャンルごとのイメージ
「ビジネス書ってさぁ・・・」
「文学ってどうなの?」
などについては、異論・反論があります。

まずは今、という時代は自分というフィルタを
通して読んでいる限り、

【書店で決められた「ジャンル」は意味がない】

ということで、この話はまたいずれ。

何でも読む、ということは
テーマを決めて読むことくらいに
重要なことだと、思っています。
(好き嫌いを知る上でも)