文学は身体に効く物語
意味ではなく
交換の常態を。
情報は意味ではなく
運動をつなぐもの。
パスのためのしごと。
遅効性のメディアとしての本
身体に効く物語としての文学。
身体が乾いたら良質な物語を。
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極端なことを言ってしまえば、
小説にとって意味性というのは、
そんなに重要なものじゃないんですよ。
大事なのは、意味性と意味性が
どのように呼応し合うかということなんです。
音楽でいう「倍音」みたいなもので、
その倍音は人間の耳には聞き取れないだけれど、
何倍音までそこに込められているかということは、
音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。
(略)
温泉のお湯につかっていると身体が
温まりやすいのと同じで、倍音の
込められている音というのは身体に残るんです。
フィジカルに。
でも、それがなぜ残るかというのを
言葉で説明するのはほとんど不可能に近いんです。
それが物語という機能の特徴なんですよね。
すぐれた物語というのは、
人の心に入り込んできて、
そこにしっかりと残るんだけど、
それがすぐれていない物語と機能的に、
構造的にどう違うのかというのは、
ちょっと言葉では説明できない。
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