「だからおまえらの世代は」と繰り返されないために

主に上の世代から下の世代に
向けられる世代批判について。

世代間の批判をするorされるときは、
対立構造で語るべきではないと思う。

なぜなら、下の世代の結果は上の世代の原因だから。

今の世代は、過去の世代の結果。

因縁果報、因果応報。世代は、独立したものではない。

前の世代の経済活動の結果、今の世代の消費がある。
(もしくは消費へのアンチテーゼもある)

両極のなかでのバランス。

草食系もそう。
(作家をはじめとした明治初期の男性像とも)

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1Q84』に限らず、村上春樹は作品の中で
自分たちの世代が生きた「過去」にこだわる。

ある新聞のインタビューでは
団塊世代の落とし前」とも言っていた。

世代としての責任を負うことは、安易な批判ではなく、
今を引き受けた大人の姿勢だとおもう。

だからこそ、歴史や生きてきた時代にこだわる。

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僕も、10まで下の世代とつきあうようにしている。

定期的につきあうことで、学べることがある。

逆に、伝えられることもある。
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大学1年の時は、4年生の先輩にお世話になったから
自分が後輩に伝えることができた。

さらには、85で亡くなったじいちゃんや
60代の師匠にお世話になった。

そこから、長い目を養うことができた。

生きることは、長距離走だと知った。

ここには、対立でも批判でもなく、
今という時代の共存意識がある。

過去の時代を生きてきた人へのリスペクトがある。

60代の師匠は、
「70代ってほんとに元気なんだよ」という。

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「近頃の若い者は・・・」という
古代の落書きがあるそうだ。

年代のスケールを少し広げると
その発言も上から目線ではなく、
「今、一緒になにができるか」になる。

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学生時代に60代と20代が語る場を
定期的につくっていたことが、なによりも
世代と歴史をリアルに学ぶ場だった。

そして、
そういった場をタダでつくってくれた
上の世代にあらためて感謝する日。


▼10代から90代までとつきあう。