広げるために掘る

先日、後輩とランチをしていて
「選ぶ」ことには長けているけれど
「決める」ことが下手になっている
という話になった。

情報が多く、選択肢がある分、決めなくていい。

決めることを忘れさせてくれるだけのノイズがある。

・・・
決めないことも、相応の努力が居る。

現状を維持するのは、
惰性で流されるよりも努力が要る。

でも年を経る事実からは逃れられない。

時間が有限の中で、期限内でものを決める。

年を経る過程には、そのときごとに
決めるべきことがあるとおもう。

・・・
休刊した雑誌『KING』の創刊コピー。

「可能性だけは腐るほどあるキミに」

一見、心地いい言葉、「可能性」には
賞味期限があるということ。

学生時代、尊敬していた先輩の
「自分の可能性に挑戦したい」
という言葉に鼓舞された。

その後、年をすこし経て、
先輩や後輩のレンジが広がる。

まわりの変化と合わせて
可能性は腐るものだと知る。

よくもわるくも。

・・・

アルカーナの原田和英君が、
このコピーをブログでコメントしてくれた。

でも負けずに、可能性への飽くなき探求はいつまでもポケットに忍ばせておきたいなぁ、とか思って。

いずれにせよ、でもやはり「歳を取るだけ可能性が広がった」という生き方の方が、
愉快な気もしていて(良いか悪いかはわからない)。

そう思う。
今も(幸いなことに)思っている。

そう思うためにどう生きるか、決めるか。

可能性=選択肢ではなく、
決めて、極めることが結果として
その人の可能性を広げる、と考える。

地下でつながっているはずの水脈を
いつ掘るか、どこから掘るか。

20代も後半になって、少しずつこの意味が
実感としてわかってきた気がする年の暮れ。

・・・

当然、これは書くことにも当てはまる。

期限を決めて広げたらあとは掘ってみるしかない。

水脈につながる場所の保証がない今の堀りかた。



掘る場所を決めたら、掘り続ける。

【編集後記】
単館上映の映画を見に渋谷に行ったら
お客さんは、自分を含めて9人でした。